2015年 01月 18日
< 不思議の糸を紡ぐ寺、當麻寺に行ってきた >
その麓に建立された「當麻寺」。宗派は高野山真言宗と浄土宗の並立となっています。
1.400年の歴史を持つこの寺院、古くから花の寺として知られてるほか、日本最古の梵鐘、同じく日本最古の石灯籠、国内で唯一平安時代初期建立の東西2基の三重塔が現存するなど、実に由緒のある寺院です。
そんな由緒のある當麻寺ですが、実はとっても謎と不思議が詰まった寺院。
先日、その謎に迫るべく、當麻寺に行ってきました。
正門である東門をくぐると境内はとっても広く、まず日本最古の梵鐘が見えます。
そして右手に講堂、左手に金堂、そして正面には本堂が見えてきます。
ここ當麻寺にある謎とはどういったものなのでしょうか。
まずはこのCMを見てください。JR東海のCMです。
では行きましょう、當麻寺の謎。
・なぜ 二上山の麓に極楽浄土を作ったのか
當麻寺の西側には二上山(にじょうざん・ふたかみやま)があります。
ちょうど、ふたこぶラクダのように真ん中にへこみのある山です。
古よりこの二つのこぶの間から、阿弥陀様がお迎えに来るという弥陀の来迎という思想があり、季節によってはちょうどこのへこんだ部分に太陽が沈みます。
その様子はまさに御来光、その向こうには極楽浄土があると考えられていました。
なので、信仰されてる方々にとってはこの地に建てることは重要な意味を持っていました。
・なぜ この寺の本尊は曼荼羅なのか
仏教寺院や仏壇などに最も大切な信仰の対象として安置されるご本尊。
ほとんどが仏や菩薩などの仏像や絵画などですが、ここ當麻寺では「當麻曼荼羅」となっています。
本堂での撮影は禁止ですので、資料からの引用ですがこれがそうです。
もともと建立されたときは本尊は弥勒仏でした。しかしいつからか當麻曼荼羅の寺として親しまれています。
藤原豊成の娘、中将姫さま。幼くして母を亡くし、以後継母からのいじめや命を狙われるなどの人生を送る中、當麻寺にたどり着き尼僧となります。
この地でこれまでに自分のために犠牲となり亡くなっていった方を想い、一心に経を唱える毎日を送るとある日、阿弥陀仏と観音さまが老尼に姿を変え目の前に現れます。
そして、その教えに従って一夜にして編み上げたのがこの「當麻曼荼羅」です。
描かれているのは阿弥陀仏のもと、さまざまな人が集まりお互いに慈しみ合って調和の世界、極楽浄土でした。
まだまだ一般の人が文字を読めない時代、それまで仏像や菩薩が教えていた「こころの安らぎ」という曖昧な信仰ではなく、
ビジュアル的にも分かりやすい「當麻曼荼羅」が人気を集め、いつしかこちらの方がご本尊となりました。
・なぜ この伽藍から南門は消えたのか
もともとのご本尊は他のお寺と同様、南門から人々を迎え入れ、その正面に本堂、ご本尊がありました。
ところが中将姫の曼荼羅に人気が集中すると、人々の動線が変わってきます。
曼荼羅の置かれているお堂は境内の西側。人々はこの曼荼羅を正面に見ようと東側から入るようになり、いつしかこちらがメインストリートになりました。
一枚目の写真は東門から入り、曼荼羅のある本堂を正面に見ています。
やがて、本来の南門から入る人は途絶え、いつしか門も無くなってしまいました。
今でも当時からあった石灯籠が残っており、これが国内最古の石灯籠と言われています。
こうなると元々本堂であった金堂に置かれている弥勒菩薩は、参道に対し正面を向いていないことになります。
この写真で南側から旧本堂を見、左奥に本堂があります。
今では金堂は裏口から入り、弥勒菩薩の後ろから回り込む、そんなヘンテコなことになっています。
こんな感じで、一見するとよくわかりませんが色々と不思議なところがある當麻寺。
この他にもまだまだあります。
なぜ この寺の四天王の銅像にはあご髭があるのか
なぜ この寺の四天王像は微笑んでいるのか
なぜ 真言宗と浄土宗の両宗共立となったのか
なぜ この寺の東西両塔は位置や建てられた場所に高低差があるのか
などなど。
ミステリーは深まる一方です。
不思議、不可思議、摩訶不思議。
この続きは、いずれまた。
では最後に、、、
奈良、當麻寺
胸の中はざわめくばかり
すべてを知っているのは、建立された時のまま立つふたつの塔だけ
不思議の力に引き寄せられて
いま、ふたたびの 奈良へ。
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by revoir-dima
| 2015-01-18 14:41