2016年 01月 21日
< 醤油の発祥、和歌山県湯浅に行ってきた >
古くは熊野参詣の宿場町としても栄え、今なお古い町並みや家屋が残る湯浅は和歌山県で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。
そしてここ湯浅は、日本の醤油の発祥の町としても有名です。
今ではどの家庭にもあり、日本の食に欠かせない調味料である「醤油」。
そのルーツを探るため先日、湯浅の町をぶらりとPhoto散歩してきました。
そもそも「醤油」はどのようにして生まれたのか。
元々は「味噌」から始まりました。
鎌倉時代、紀州の禅寺「興国寺」の僧が、中国より持ち帰ったのが「経山寺味噌」。
現在は「金山寺味噌」と呼ばれています。
このお味噌、元々は白瓜や丸茄子、シソ、生姜などの夏野菜を食べるための保存食であり、現在のような調味料としてではなくご飯に載せたり、お酒の肴、おかずとして食べられていました。
この味噌、当時はかなり水分が多く、けっこうビチョビチョな感じで作られていたそうです。
なのでこの味噌製造の際、桶の上澄みになどには汁が滲みだしてきていました。
当初はこれを、腐敗の原因になると捨てていましたが、やがてこの滲み出た汁の美味しさに気付く者が出てきました。
これが最初の醤油です。
この製法をさらに発展させ、湯浅は醤油の一大生産地となります。
そして江戸時代には92軒もの醤油屋が出来ました。
紀州藩の保護を受け、ますます発展する湯浅醤油ですが明治維新により藩が無くなり、大手メーカーの進出などにより、徐々にその声明も衰退していくことに。
今では数軒の醸造業者が残るのみとなってしまいました。
私がかつて訪れた小豆島の醤油蔵。
ここもまたそういう流れで生まれ、島独自で発展した醤油だったんですね。
< 小豆島、あぁ小豆島。 >
数件残る醸造業者のうちのひとつ、「湯浅醤油有限会社」さんの醤油蔵を見学させていただきました。
辺り一面に充満するもろみの匂い。
じっと耳を澄ますと熟成される醤油の息づかいが聞こえてきそうです。
かつてここで生産された醤油を全国に運んだ堀が、今なお残る和歌山県湯浅。
お話をうかがった町の方は、他の地域同様人口の減少が激しいとおっしゃっていました。
たしかに町で出会う方たちはお年を召した方が目立ち、そもそも人がいない。
名物のシロウオも獲れなくなり、湯浅の伝統漁法も見られなくなりました。
それでも町を歩くとお味噌、醤油のにおいが漂い、それだけで心落ち着かせてくれる湯浅の町。
みなさんぜひ、和歌山には湯浅という町があるという事を知っておいて下さい。
そしてもし、機会があるようなら少しでも足を止めてください。
素朴ですが、いい町なんですよ。
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by revoir-dima
| 2016-01-21 00:10