2012年 08月 11日
< 比叡山・延暦寺 ~最澄と空海~ >
今から約1,200年前、最澄により開かれた延暦寺。 「日本仏教の母山」とも称される延暦寺は天台宗総本山であり
ここから数々の有名人がデビューしています。
延暦寺という堂塔はなく、比叡山そのものが延暦寺を表わしています。
いくつかの地区にわかれ、数々の堂塔が建ち並ぶ様子はまさに圧巻。トップのオーラ出しまくりのところでした!
またここはユネスコの世界遺産条約によって世界文化遺産に指定されています。
延暦寺の解説はかい摘まんだものを写真のコピーに入れてそれをご覧いただきながら、テキストではちょっと別のお話を。
「最澄」といえば「空海」。
教科書で習ったこと、ありますよねー。
彼ら二人のカンケーについてザックリと書いてみます。
どのように唐に渡ったかは諸説ありますが、共に遣唐使として唐に渡った彼等はそれぞれに仏教を学びます。
「マジメかっ!」って感じの最澄はとにかくいろんな事を見たい知りたい学びたいっていう学者肌。
対して空海は「密教」一筋のマニアなオタクです。
日本に帰ってきたあとは最澄は比叡山に草庵をたて、天台宗を旗揚げします。
天台宗のトップとしてイケイケドンドンと邁進する彼ですが、いつしか雲行きが怪しくなってきます。
空海の存在です。
彼の持ち帰った密教、その派手なパフォーマンスが大スポンサーである桓武天皇に受け、見向きもされなくなってきました。
(ちなみに「密教」とは「秘密」の密ではありません。密教についてはまたいずれ。。。)
さてマジメな彼はこれを「そっかぁ、密教も取り入れていかなきゃならんなぁ」と考えます。
元々唐で少しは密教をかじってはいましたが、マジメなので「そんなのじゃダメ」、と空海の元を訪ねます。
基本、空海も人がいいのでいろいろ教えててあげたり、経典や本を貸してあげたりしていました。
ところが最澄は勤勉過ぎるあまり、借りた本を返さなかったり、それでもしつこく本をねだったりとしてくる最澄に対し、
ついにブチ切れます。
「こっちはガチで修行して出家しとるんじゃ!本だけ読んで知った気になろうなんて虫のいいことしやがって!」
絶交の手紙を出したあと、二人は二度と会うことはありませんでした。
空海から断絶されながらも最澄は独自に密教を突き詰め、ついには「天台密教」を完成させます。
とまぁそんな確執のある二人ですが、どちらも仏教界のスーパースター。
偉大な方たちです。
空海が開いた密教の聖地、高野山もいずれ訪れたいとおもいます。
「延暦寺」という堂塔のない延暦寺、「高野山」という山は存在しない高野山。
ここにもなにか、ありそうですね~。
by revoir-dima
| 2012-08-11 00:03