2011年 08月 25日
< アマクサ・サマー♪ >その2
まずはざっくりとおさらいしてみましょう(^o^)/
キリスト教の日本への伝来以来、織田信長は南蛮文化に対する関心などから
キリスト教の保護を行いました。
その後織田信長が討たれ、豊臣秀吉に代わります。
しばらくは保護を継続した秀吉ですが突然態度を一変。
キリスト教の排除を始めます。
特に島原での弾圧は過酷で、重い徴税も課せられていました。
絶えかねた島原の農民たちはついにブチ切れ、1637年、天草四郎を先頭に一揆を起こします。
天草勢3万8000人、幕府軍12万人。
圧倒的な数の前に天草勢は1638年、ついに敗れます。
その後いっそう弾圧は強くなり、1839年の鎖国への契機となりました。
その後明治のキリシタン解禁までの300年近く、厳しい弾圧に耐え忍びながらも、
「隠れキリシタン」となり人知れず信仰の火を守り続けました。
明治6年(1873)のキリスト教解禁後、大江や崎津などに天主堂が建設され、
キリスト教徒として次々と復活、天草四郎らの志を現在に受け継いでいます。
厳しい弾圧も、キリスト教の教えでは「ヨブ記第2章」の言葉のように、受け入れるものだったのでしょうか。
さてその天草四郎ですが、実にフシギで謎の多い人物のようです。
とにかく四郎についての資料が皆無といっていいほど少なく、彼についての記述は
ものの書によって実にばらばらなんだそうです。
ただ、いずれも実質的な一揆の首謀者によって四郎は「奇跡の救世主」に仕立て上げられ、
さまざまな奇跡を演じさせることによって象徴として、精神的支柱であったというのは
おおむね共通した記述のようです。
写真の銅像はそんな「奇跡」のなかの一つを現しています。
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あるとき天草四郎が目を閉じて天を仰ぎ十字を切ると、
一羽の白い鳩が、四郎のところまで舞い降りて、卵を産み、
その割れた卵の中から天主であるキリストの、画像や経文が現れた。
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by revoir-dima
| 2011-08-25 21:58